激動の幕末!!日本の未来を考え行動した英雄達の物語★〜幕府編〜



どうも!!旅行大好き歴史も大好き美容師のAyakaです☆

歴史好きの人達がやっぱり好きな時代が

幕末です!!!

私が幕末が好きな理由としては、

考えは全く違ったとしても、それぞれの立場で日本の未来をこんなにも国民が考えた時代は無かったのではないか!と言っても過言ではない時代だからです☆

それまでは各藩ごとの事を考えてはいたとは思うのですが、日本という国単位で世界の国々とどうわたりあっていくか!?を国のトップだけが考えるのではなく、武士をはじめとする多くの人達が日本の未来を考え、行動したと私は感じます。

そして、よく大河ドラマにも描かれるこの時代は、

西郷隆盛や大久保利通や島津斉彬や篤姫がいた薩摩藩(鹿児島県)

吉田松陰や高杉晋作や桂小五郎(木戸孝允)がいた長州藩(山口県)

坂本龍馬や中岡慎太郎、武市半平太がいた土佐藩(高知県)

松平容保や白虎隊がいた会津藩

そして、新撰組や勝海舟、井伊直政などがいた徳川家康から始まり260年続いた江戸幕府

と、同じ出来事でもどこ目線で見るかで見え方が変わってくる複雑な時代であり、それぞれのドラマがある時代なのです(*^▽^*)

全ての目線でこの幕末の16年(黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)まで)を見てみると誰がヒールで、誰がヒーローと断定ができないくらいそれぞれのストーリーがあると感じます!!

そして今回は幕府目線での幕末について書いていこうと思います☆

★幕末の主な流れ★

1853年  黒船来航

1854年 「日米和親条約」に調印し、開国

1858年 井伊直弼大老(幕府の臨時最高責任者) 就任

1858年 朝廷の許可なしに「日米修好通商条約」調印、貿易がはじまる

幕府への反感と「尊王攘夷」運動(外国人追い払え運動)が広がる

井伊直弼が反勢力や幕府を批判する者を罰する「安政の大獄」がはじまる

1860年 「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺される

1863年 幕府側の警察係「新選組」結成

1866年 薩摩と長州が幕府に対抗する為「薩長同盟」を結ぶ

1867年 幕府が朝廷に政権を返上した「大政奉還

1868年 新政府軍と旧幕府軍の戦い「戊辰戦争」始まる(1869年6月終結)

黒船来航と人々の恐怖心

まずは歴史の授業でもお馴染みペリーの黒船来航から始まります

アメリカはペリーを日本に向かわせ、当時鎖国中だった日本に開国と石油や食料の供給などの要求を求めた条約を結ぼうとしにきました。

当時の日本にこの黒い巨大な蒸気船は相当恐ろしいモノが迫ってきたという恐怖心が人々を襲いました。

当時詠まれた和歌で

「泰平のねむりをさます上喜撰たった四はいで夜も眠られず」

という歌がありますが、上喜撰はお茶のブランドで蒸気船とかけていて4はいは4隻の黒船とかけて詠まれた和歌です。

ペリーさんに関してはアメリカ人の体格の大きさもあり、このように見えていたようです

もはや怪物ですね、、、(~_~;)

大国アメリカの文明と戦力に相当恐怖に怯えていた感が伝わりますね!

その恐怖心から外国人を追い払えという攘夷運動があちこちで起こります。

江戸の軍力

一方幕府はペリー再来航するまでに江戸の防御力を高めようとし、

皆さんがご存じの「お台場」を建設します!!

このお台場の要塞について、イギリス艦隊は「この要塞では江戸を攻撃するのは難しいだろう」と言っています。

実際にはこのお台場でのペリー艦隊との戦争はしなかったのですが、とある歴史研究チームがAIに色んな情報を入力し、お台場の要塞がある幕府軍とペリー艦隊の戦いをAI実証してみたら、、、、

なんと!!!!

まさかの幕府軍が勝ちました!!!

それほどお台場の要塞は鉄壁の守りだったようです。

しかし、そんな鉄壁要塞のお台場を作っておきながらも、幕府大老の井伊直弼はペリーに押されて天皇の許可なく勝手に条約を結んでしまいます。

それが幕府弱腰で頼りないという人々の反感をかう事になってしまいました、、、。

なぜそんな準備をしておきながら戦わなかったの!?

と疑問に思うと思うのですが、

あくまで最終手段であり、もしここでアメリカと戦争をして一旦は勝利したとしてもその次攻められたら日本は壊滅です(>_<)

しかもアメリカ以外にも強国が攻めてくる可能性も多いにあったからお台場の要塞が使われる事はありませんでした。

また井伊直弼も日本の未来を考え窮地に立たされた決断だったに違いないです。

幕府への反感高まる

しかし、相当幕府への反感が高まってしまい天皇を敬い(幕府を倒して)外国人を追い払えという尊王攘夷運動があちこちで起こるようになり、池田屋事件や蛤御門の変などが起こります。

井伊直弼は不満を口にしたでけでも厳しく弾圧していきました。これが「安政の大獄」です。

この安政の大獄で死罪になったのが、私のリスペクトする吉田松陰です。

井伊直弼は様々な人から反感をかい、ついには桜田門外の変で浪士達に殺されてしまいます。

そういった攘夷運動や倒幕運動を取締る役として新撰組が結成されました。

話は脱線しますが、大河ドラマで三谷幸喜さんが脚本を担当した「新撰組」は私が幕末が好きになるきっかけになった大好きな歴史ドラマで、渡辺謙さんが主演した「壬生義士伝」という三夜連続ドラマでやっていた新撰組の話は嗚咽するほど泣きました!!!

そして新撰組で土方歳三役の山本耕史さんはものすごいはまり役で、今でも私の中では土方歳三のイメージが強いです★

話は戻って、西郷隆盛木戸孝允坂本龍馬などの仲介を得て、薩長同盟を結び幕府に対抗し、その後、公家の岩倉具視なども加わり朝廷を総大将とした新政府軍と旧幕府軍の戦いである戊辰戦争へと発展していきました。

江戸城も新政府軍に攻められるという寸前、

新政府軍の西郷隆盛と旧幕府軍勝海舟の会談が行われ、江戸城総攻撃は中止になりました。

これが江戸城無血開城です。

そのことにより、

当時世界最大規模と言われた江戸の町は火の海となり、100万人の江戸の住民の多くは焼け死に、家を失なっていました。江戸城無血開城により、江戸の町と多くの江戸の住民を救いました。

そして、江戸が無傷で新政府の手に入った結果、都市の生産性が維持され、日本の首都が江戸=東京となり、新国家建設に大きな役割を果たしました。

この幕府軍の勝海舟は軍艦奉行で幕府の海軍の責任者でした。当時としてはかなり幅広い視野を持っている幕府きってのつわものでした。

あの坂本龍馬が勝海舟を暗殺しに出向いたところ、その幅広い思想に魅了されて、弟子入りしたというほどの人物です。

この勝海舟が率いる幕府海軍は当時国内最強の軍艦を所持していていました

しかし、この国内最強海軍が戊辰戦争で活躍する事はありませんでした。

幕府は最後の最後までこの最強切り札を使うことはなく、新政府軍に負けてしまいました。

そしてもう一人!勘定奉行に抜擢され、幕府の立て直しを命じられ、軍艦奉行になった小栗上野介という人物です。

歴史好きの人でも知らない人もいる知名度、人気はあまりない人物ですが、この人勝海舟に並ぶすごい人なのです!!!!

歴史小説家の司馬遼太郎は小栗上野介を「明治の父」と言ったり、

明治の総理大臣大隈重信は

明治の近代化はほとんど小栗の構想の模倣に過ぎない」と言っていたようです。

小栗上野介は今の横須賀造船所を作り、近代工業の礎を作りました。

その横須賀造船所は今も米軍海軍基地としてそのまま残っています。

列強諸国とわたりあっていくには、他国に頼るのではなく、自国の造船所を持たなくてはならないという信念があったからです。

後の日露戦争・日本海海戦で日本の艦隊はロシアのバルチック艦隊に大勝利を収めることとなりましたが、

日本海軍を率いた東郷平八郎は

「小栗上野介が横須賀造船所を建設してくれたことが、今回の海戦でどれほどに役に立ったかしれない」と述べています。

そして、結局幕府軍は小栗上野介の作戦を実践することなく、新政府軍に負けてしまうのですが、

新政府軍の軍師だった大村益次郎は

「小栗の作戦を実行していたら新政府軍は負けていただろう。」

と述べていたそうです。

小栗上野介は幕府の中でも優秀で新政府軍からも一目をおかれ、恐れられていたいました。

そして勘定奉行でもあった為、幕府を再興する資金を託されていて隠し持ってるという噂もあり、要注意人物として新政府により斬首になります。

しかし、その資金は見つかることもなく、

徳川埋蔵金伝説へと繋がっていきました。

今のお金で20兆円とも言われています!!

そしてその埋蔵は未だ見つかっていないようです。

信じるか信じないかはあなた次第です!!!

こうして滅んでしまった幕府ですが、現代に繋がる礎を作っていたことも間違いないですね★

以上、激動の幕末!!日本の未来を考え行動した英雄達の物語★〜幕府編〜でした!!


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